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みなさん、1971年7月にアメリカ合衆国が日本の頭越しに中華人民共和国と極秘会談を行い、ニクソン訪中を発表したことを思い出してください。これまではその経緯を『キッシンジャー回想録』などから憶測できるに過ぎませんでしたが、2004年2月に『周恩来キッシンジャー機密会談録』という書物が岩波書店から出版され、質疑応答方式で行われた極秘会談の内容が日本語で手にとるように読めるようになりました。
見事に秘匿された状態で、「中華人民共和国(当時は中共と略称されていた)を訪問したい」という意向をニクソン大統領がパキスタンのヤヒヤカーン大統領を通じて中国に伝達、1971年7月の大統領特別補佐官キッシンジャー博士の一行と周恩来首相とそのスタッフとの会談が実現しました。
ベトナムで激しい戦闘が続き、台湾海峡で米中の緊張が続いていたさ中のことでした。この書物の80ページから1箇所だけ引用します。
周恩来:「キッシンジャー博士は1960年にソ連がすべてのソ連の専門家たちを中国から引き揚げたこと、またソ連が契約を破棄したことは知っていましたか」
キッシンジャー:「私がそのことを個人的に知ったのは1962年です」(1960年7月、ソ連は1390人の派遣技術者をわずか1ヵ月あとの8月末にすべて引揚げさせた上、予定していた900名の派遣を中止した)。
その後、ニクソン訪中に向けての準備会談が10月にも行われ、ソ連に関する情報がアメリカから中国に極秘ルートで伝達されるようになりましたが、私が注目するのは、1972年1月にヘイグ准将(レーガン大統領のもとで国務長官に就任)がキッシンジャー補佐官とニクソン大統領からの依頼を受けて、「中国国境に110万人ものソ連の軍隊が展開していること」を伝達していることであります。こうしてはじめられた中国とアメリカの話し合いは、国際機関からの台湾追放など多くの難問をクリヤーして1979年1月に正式な外交関係樹立となって結実するのでありますが、実は、中国はアメリカとの国交樹立3ヵ月後の4月に、1950年2月に締結した「中ソ友好同盟相互援助条約の破棄」を決議し、ソ連に通告しているのであります。
「中ソ友好同盟条約」は1949年10月の中華人民共和国建国直後の1950年2月に、有効期限30年、最初の期限到達の1年前に条約破棄を相手に通告しない限り5年延長される」という内容のものでありました。
この条約は「世界を共産化する」と本気で考えていたソ連の世界戦略に建国間もない中国をがっちりと組み込んだ条約で、ソ連にとって大変意義深い条約であったわけです。「1960年の技術者一斉引揚げ」や全日空会長を勤められた「岡崎嘉平太さんの中国報告」(そう魚の刺身の話・リンゴの話)を私がこの耳で直接聞いたことなどを考え合わせて、この『中ソ条約は、中国国民の生命と財産の安全確保および中国を繁栄させるという国家目的達成に有効ではなく、ソ連の桎梏から抜け出すことが中国の国益であった』と私は判断しています。
1971年にはじめられた米中会談から8年の歳月を経て、中国は手堅くアメリカとの国交を樹立して、間髪を入れずに中ソ条約を破棄して、国家経営の軸足をソ連からアメリカに移し変えたのであります。
私はアメリカとの外交関係樹立なくして中国はソ連の桎梏から抜け出すことは出来なかった、したがって、中国の現在の繁栄の原点はアメリカとの国交樹立にあると確信しています。今後の米中関係につきましては、したがって、表面で対立は起こっても根本のところでは中国は米国との関係を大切にして行くことは間違いないと確信しています。
北朝鮮がアメリカと対峙して中国の支持を期待しても中国は一切動かないというのが私の目に映るこれからの世界のシナリオです。
ブルムバーグニュース2016年12月2日号は『選挙に当選したトランプ大統領と会談した2週間後に93歳のキッシンジャー博士が北京に飛んだ』と報道しています。
参照:https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-12-02/OHJQ856TTDS301
何がどのように話されたか明らかになっていませんが、私は『ほぼ半世紀前に米中国交を回復させた当事者の中でただ1人の生存者であるキッシンジャー博士が、国交回復の原点を現在の中国の指導者に確認した』と憶測し、この憶測を基礎に、トランプ大統領と習近平主席のフロリダ会談と習近平主席とトランプ大統領の北京首脳会談を評価しています。
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